The pursuit of excellence(和訳)

はじめに

「Excellence」とは、スキルではありません。 それは「明日を今日よりも良いものにできる」という信念の表れであり、自らの選択です。 こういった考えは、一見楽観主義のようにも映ってしまいますが、そのような受け身なものではありません。そこには強い意志を伴う決断が必要不可欠です。なぜなら、私たちは生まれつき楽な方へと流されやすい生き物だからです。

私たち人間は習慣の生き物であり、安定や現状維持を好みます。 私が採用の意思決定において「カルチャーフィット」という言葉を使わないのは、これが理由です。この言葉を使うこと自体に異議を唱えるつもりはありません。スタートアップという環境において、共通の価値観を持ち、同じ目標を達成したいと願うことは極めて重要です。しかし、この言葉には、変化への無言の抵抗や現状維持を望むニュアンスが潜んでいます。 だからこそ私は「カルチャーインパクト」という言葉を好んで使います。「この人はチームにフィットするか」と問うのではなく、「この人はチームをどう変えてくれるか」と考えるのです。これは些細な違いに思えるかもしれませんが、Excellenceとは日々の進化なくしてはあり得ません。故に私たちは、あらゆる変化を受け入れ、飽くなき進化を求め続けます。

そもそもスタートアップとは、現状を受け入れるのではなく、より良い世界に向けたビジョンを実現するために挑戦する存在です。 キャディのミッションは「モノづくり産業のポテンシャルを解放する」です。なぜなら、私たちは製造業にはまだ解き放たれていない、計り知れない可能性があると信じているからです。このミッションに突き動かされ、私たちはわずか数名の組織から、8年足らずで4カ国にまたがる700名超の企業へと成長しました。しかし成長に伴い、私たちはリスクを避け、プロセスを重視し、意思決定において保守的になる傾向が強まっていることも事実です。これは当然のことです。私たちのソフトウェアに事業の運営を託してくださる、大切なお客様が存在するのですから。

しかし、忘れてはならないのは、私たちはミッション達成には程遠い場所にいるということです。決して自己満足に陥ってはなりません。その瞬間に、私たちが変えようと志したはずの「現状」そのものになってしまうからです。

Excellenceの追求

エンタープライズソフトウェアにおけるExcellence

エンタープライズソフトウェアは、しばしば「ひどいものだ」と揶揄されがちです。2018年、YCombinatorは「Request for Startups」の中で、「大企業で使われるソフトウェアは依然としてひどいままだが、非常に儲かる」と指摘しました。これは事実です。その理由の一つは、エンタープライズソフトウェアの開発がとにかく難しいことにあります。企業は大規模で複雑なだけでなく、多くのステークホルダーが関わっているからです。

コンシューマー向けソフトウェアでは、ユーザー満足度と購入行動が比較的ダイレクトに結びついています。しかし、エンタープライズアプリケーションは、もっと複雑で広範な利害関係者の要望に応えなければなりません。予算を握る経営層、システムを維持する管理者、カスタマイズを行う外部のSIer、そして最終的に実際に利用するエンドユーザー。つまり、多くの場合「使う人」が「買う人」ではないのです。 たとえば経費精算システムを購入するのは経理部門であって、毎日それを使う従業員ではありません。法規制を満たす必要もあり、その結果ユーザビリティが犠牲になることもあります。購買チームは巨大な機能比較表を用いて判断し、ベンダーは「十分な数のチェックボックスを埋める」ことに注力します。なぜなら、それがこのゲームのルールだからです。 確かにこれらの制約は紛れもない現実であり、私たちは、その現実から目をそむけるつもりはありません。

キャディのプロダクトビジョンに、"Kickstarting Transformation"という言葉が含まれています。真の変革には、短期的な現場の問題に対処し、それを長期的な成果に結びつける必要があると認識しているからです。私たちは、大きな変革がトップダウンの指示だけでは達成できないことを知っています。経営層の支援と、組織全体での有機的な繋がりの、両方が必要なのです。そのため、私たちのソフトウェアは機能的であり、すべてのチェックボックスを埋め、コスト削減、リードタイム短縮、あるいは組織文化の変革といった、経営層にとって重要な成果を提供しなければなりません。

しかし、ここがまさに落とし穴なのです。プロダクトが最低限許容できる成果を出せるようになると、そこで満足し、それが合理的でさえあるように思えてきます。どうせユーザーは使うことを義務付けられているのに、なぜパフォーマンスを最適化する必要があるのか? 機能の幅広さが購買担当者の心を掴むのに、なぜ優れたUXに投資する必要があるのか? ソフトウェアエンジニアという業界人として、私たちは高性能なアプリケーションを構築する方法を知っています。それなりのLighthouseスコアを達成することは、別に難しいことではありません。クラウドプロバイダーは堅牢なインフラを提供してくれますし、オープンソースコミュニティは優れたフレームワークで私たちをサポートしてくれます。コンポーネントライブラリやデザインツールは成熟し、Web上のユーザーインタラクションモデルも確立されています。

それにもかかわらず、私たちは「時間がない」「ユーザー要件ではない」「他に実装すべき機能がある」といった言い訳を見つけては、手を抜いてしまいます。しかし実際には、これは現実主義という名目で、組織やエンジニアリングの規律の欠如を覆い隠しているに過ぎないのです。

高名なドン・ノーマンは、著書『エモーショナル・デザイン』の中で、デザインには3つのタイプがあると述べています。本能的(visceral)、行動的(behavioral)、内省的(reflective)です。本能的とは深く感情に根ざした直感的な反応、行動的とはプロダクトの効果とユーザビリティ、そして内省的とはそのプロダクトとの知的な関係性を指します。私たちはエンタープライズの世界において、あたかも内省的な側面にだけ集中すればよいかのように、本能的・行動的な反応を軽視しがちです。しかし、マネージャーや経営者も人間です。彼らの仕事は不確実性の中で意思決定を行うことであり、論理と同じくらい直感や経験に頼っています。

私たちが真に"Kickstarting Transformation"を実現したいのであれば、プロダクト開発のプロフェッショナルは、単に顧客に喜ばれるだけのツールを提供するだけでは不十分です。顧客組織の「真の変革」は、上からの命令一つで生まれるものでは決してありません。だからこそ私たちの使命は、顧客に自信を与え、行動を変え、最後には組織を変革することなのです。そしてそのようなプロダクトを、明確な意志をもって世に送り出すことなのです。

Excellenceを追求し、それを実現する意思こそが文化を形づくります。もし「あと一歩」で意味のある改善ができるのなら、議論をやめて実行しましょう。自分の仕事を誇りに思いたいなら、影響を生み出したいなら、私たちは立ち上がり、Excellenceを追求し続けなければならないのです。

チームビルディングにおけるExcellence

私たちがよく目にする典型的な採用活動はこんなものです。 LinkedInで一斉に送られる、どこか形式的で熱意を感じないメッセージ。そのうちの数名が反応してくれることを期待するやり方です。多くの組織において、この方法でも十分に機能することはあります。量を打てば、ある程度の成果は必ず出るからです。

しかし、私たちはエンジニアの採用をそのように捉えてはいません。なぜなら採用とは、単に人数を満たすための行為ではなく、会社のミッションを実現できる「より良い、より有能な組織」を築くための営みだからです。もちろん、送信したメッセージ数や返信率といった指標は、Talent Acquisitionにとって重要な先行指標です。ですが、それらはあくまで数字にすぎません。

採用チームにおけるExcellenceとは、組織にとって本当に最善を尽くそうとするその純粋な姿勢です。キャディにおいて、エンジニアのリクルーターはVP of Engineeringの直属です。 彼らは開発組織のAll Hands MTGにも出席し、組織・プロダクト・技術への深い理解を持ち続けます。エンジニア組織づくりの全体プロセスに積極的に関与する採用チームを育てるには、強いコミットメントと規律が必要です。しかし、それこそがまさに私たちの目指す「Excellence」なのです。

私たちはキーワードを使ってレジュメをスクリーニングしますが、それだけでは十分ではありません。リクルーターには、さまざまな技術の関係性を理解するだけでなく、業界ごとの特性を理解することを求めています。受託開発の会社と自社プロダクトをもっている会社とでは開発スタイルが大きく異なりますし、航空機の電子機器とモバイルアプリではプロセスや信頼性の要件も全く違うはずです。こうした違いは、候補者を評価する際に極めて重要です。

リクルーターに技術の専門家であることを期待しているわけではありません。しかし、強い好奇心を持ち、エンジニアリングマネージャー(以下EM)と歩調を合わせ、優れたチームをつくりたいという情熱を持つことを期待しています。それこそが採用におけるExcellenceであり、優れたソフトウェアを生み出す土台となるのです。

マネジメントにおけるExcellence

Excellenceを追求することは従業員一人ひとりの責務ですが、その水準を組織として維持し、徹底させるのはマネージャーの役割です。Excellenceは偶然生まれるものではありません。意図的な行動、緩むことのない当事者意識、そして困難な道を選ぶことを厭わない勇気が必要です。人はあらゆる場面で、現状維持という心地よさに甘えたくなるものです。顧客から不満の声が上がらない時、現状維持は合理的な判断であるかのように見えてしまうのです。だからこそ、私たちはマネージャーに高い基準を設定し、その上でRaise the barし続けること、つまりこのExcellenceの守護者としての役割を果たすことを期待するのです。組織一丸となって、私たちは妥協という誘惑に断固として抗い、Excellenceを追求します。なぜなら私たちの未来は、そこにかかっているからです。

Guardians of excellence

妥協は破滅への道

誰しも経験があるのではないでしょうか。締め切りと山のような要件を前にしたとき、スコープが削れるたびにほっと胸をなでおろす。キャリアを重ねるにつれて、私たちは自分の時間を確保するために顧客や同僚と交渉する方法を学んでいきます。経験を積むことで、何が問題になりうるかを予測し、スケジュールのバッファを確保したり、ステークホルダーを説得して要件を取り下げさせたりと、リスクを軽減する方法を身につけます。それは悪いことではありません。ビジネスとはそういうものです。

しかし、時が経つにつれ、自分自身とプロダクトの間に距離を感じるようになることがあります。業界での経験が長くなるほど、現実から乖離していくリスクが高まるのです。私たちは子供たちに感情をコントロールし、敬意を払い、要求がましくならないように教えます。そして大人である私たちは、時としてその自制心を自分自身にも適用し、自分自身や他者にExcellenceを追い求め続けることを忘れてしまいます。たとえ心の中に情熱の炎があっても、組織やシステムに逆らうことの精神的な負担を避けるために、その炎を消してしまうのです。このことは、自分の心の健康を守る助けにはなります。しかし、「自分を守ること」と、「(情熱の炎を燃やさずに)現状をただ受け入れること」の間には決定的な違いがあります。Excellenceとは、制御不能な感情の爆発ではありません。それは、より良いものを求め続ける、巧みにコントロールされた炎なのです。

現代のエンタープライズソフトウェアの現実は、まさにこの「距離を置く」プロセスが生み出した産物です。純粋に合理的な観点から見れば、最小限の仕事で同じ結果を出すことは理にかなっています。これは短期的には確かに機能します。しかし、常により少ない労力で済ませようとする組織は、不確実な時代に自らを前進させる内的な強さを欠いています。もし私たちが外部からの評価だけで自分の価値を判断するならば、今日の期待を超える夢を見ることは決してできないでしょう。マネージャーとして、私たちは自分自身だけでなく、チームにもExcellenceを要求すべきです。ほんの少しの努力で何かが格段に良くなるのであれば、私たちが率先してそれを推進すべきなのです。

私たちは、製造業における新しいビジネスの形を開発しています。私たちが提供する価値は計り知れず、外部からの評価を得るには数ヶ月、あるいは数年かかることもあります。だからこそ、マネージャーは、たとえまだ誰からも称賛されていなくても、未来への道を切り拓くための強い内的な羅針盤を持たなければならないのです。

エンジニアリングマネジメントの精神

エンジニアリングマネジメントの真髄、それはExcellenceを追い求め、妥協なく要求し、そして必ず形にすることにあります。EMとして、プロダクトを新たな高みへ、チームを新たなステージへ、そして自らを新たな次元へと引き上げていくのです。それは単に「機械を動かし続ける」ということではありません。ビジネスの次のステージのために、「機械そのものを継続的に再発明していく」ということです。そして、自らの行動において確固たる原則を持ち、ミッションに忠実であり続けることでもあるのです。

エンジニアリングマネジメントは単なる「ピープルマネジメント」にとどまりません。チームを前に会社を代表し、高次元の戦略を解釈し、チームが理解し実行できる形に翻訳することを意味します。その役割は、チーム設計や複雑なアーキテクチャ設計から、ストレッチゴールの設定、そして全員を高みへと挑戦させることまで多岐にわたります。

そして何より重要なのは、不確実性の中で適切なカードを切り、困難な決断を下すことです。EMはまるで未知の海を航海する船長のような存在です。未来という霧に視界を遮られながらも、ミッションに基づいた内なる羅針盤、顧客への深い理解、そしてWhatとHowを自在に行き来できる技術的な力量を頼りに、早く、果断に行動する必要があります。

アスリートのコーチがそれぞれ独自のスタイルを持つように、すべてのEMも一人ひとり異なります。基礎や目標は共通していても、それぞれが独自の方法でこの見通しの悪い海を航海します。一つの方法論を押しつけることはしません。重要なのは、すべてのマネージャーが必要な力を備え、確固たる信念をもち、最高の成果を出すことにコミットすることです。そして、その上で、ミッション達成のために自分自身のスタイルを築けるようにすることです。

一つの学問としてのマネジメント

著名な文献

偉大なEMの個人的なスタイルは皆、先人たちの基礎的な業績の上に築かれています。偉大なコーチがそのスポーツの歴史的な戦術を研究するように、すべてのマネージャーは経営科学の巨人たちから学びます。ビジネススクールに通ったことのある人なら誰でも、ピーター・ドラッカー、アンディ・グローブ、ジム・コリンズといった名前を学んだことがあるでしょう。ドラッカーはマネジメントを一つの学問として確立し、MBO(目標管理)のような概念を導入し、活動よりも効果性を重視しました。グローブはその基盤の上に、規律ある実行に焦点を当て、OKRのフレームワークを創り出しました。ジム・コリンズは広範な歴史研究を通じて、偉大で永続的な企業の特徴を特定しました。

日本では、パナソニックの創業者である松下幸之助氏は「プロダクトを作る前に人を作る」ことを強調し、京セラとKDDIの創業者である稲盛和夫氏は、道徳哲学と従業員の幸福に基づいた経営を導入しました。トヨタ生産方式は、「最も効率的な方法を追求する中で、あらゆる無駄を徹底的に排除するという思想」に基づいており、品質管理と継続的改善に関するW・エドワーズ・デミングの業績に触発されたと言われています。

デミングとドラッカーは、世界が産業経済から知識経済へと移行していることを認識していました。産業経済において、労働者は歯車の一部と見なされ、効率が最重要視されていました。世界が知識労働中心に変わるにつれて、ドラッカーは効果性と個人の判断がより重要になると主張しました。その数十年後、グローブは急速に変化する環境の中でIntelを率い、世界で最も収益性の高い企業の一つに育て上げました。彼はデミングとドラッカーの考えを発展させ、テクノロジー企業におけるスピードの重要性を強調し、マネージャーがもたらす価値を、『自身のチームと、関係する他チームが生み出すアウトプットの総和である』と明確に定義づけたのです。

過去数十年で、製造業のバリューチェーンもその方向にシフトしてきました。金属加工プロセスは、数値制御やロボット技術の進歩により、大部分が自動化されています。AppleやNVIDIAのような企業は、資本集約的でプロセス重視の半導体生産をTSMCに委託し、代わりに設計、ソフトウェア、エコシステムに注力しています。近年では、自動車メーカーが、かつて私たちがSDN(Software Defined Networking)について語ったのと同じように、SDV(Software Defined Vehicle)について語るようになりました。要するに、OEMはオペレーションの効率化を外部委託し、ますます知識労働集約型になっているのです。

しかし、産業がいかに進化しようとも、組織というものは、その根底にある特定の世界観、つまり「ビジネスとはこういうものだ」という強い思い込みの上に成り立っています。そして、そうした企業が持つ前提は、日々のマネジメントや事業運営のやり方そのものに色濃く反映されるのです。例えば、シリコンバレー流の経営を、日本の家電メーカーのような現場力が求められるOEM企業に持ち込んでも、うまく機能するはずがありません。 クラウドソフトは短いサイクルで改善を繰り返すことが前提ですが、ハードウェア製品は一度世に出れば長く使われ、間違いがあれば大規模なリコールという大きな痛みを伴うからです。モノづくりの世界では、ソフトウェアのように時間を巻き戻す「ロールバック」は決してできないのです。

すべての組織の経営哲学は、その世界観の上に築かれています。エンジニアリングマネジメントの具体的な側面に踏み込む前に、私たちの哲学の根底にあるいくつかの前提を共有したいと思います。

戦略的な世界観

「この世界で成功するために、何が必要か?」

私たちが世界をどのようにみているのか、それは周囲の環境がどう動いているかについての「仮説」です。それは、知識に基づいた推測、個人的な見解、意見が混ざり合ってできています。この考え方は、おそらく時間とともに進化していくでしょうが、現時点では、私たちの組織を構築し、運営する上での基盤となっています。

スピードを求めるのが、資本主義であり、人のエゴである

私たちはベンチャーキャピタルの台頭によって生まれたスタートアップであり、誰も試みたことのないことに挑戦しています。それはハイリスク・ハイリターンを意味します。時間軸は、資本のサイクル、テクノロジーのサイクル、そして単純に私たち自身のキャリアの長さによって、自ずと制約されます。変化の早いこの世界で100年単位の長期的な計画を立てることは現実的ではありません。私たちは自分たちの仕事がもたらすインパクトを、自分たちが生きている間にこの目で見たいと願っているからです。

労働力の多様化は必然であり不可避

日本の状況が特に顕著ですが、多くの先進国で急速な高齢化が進んでおり、昨年だけで100万人近くの人口が減少しました。ソフトウェアエンジニアリングのスキルは世界中で通用しますが、文化的な規範はそうではありません。説明責任、スケジューリング、フィードバックのニュアンスは大きく異なることがあります。15カ国以上から集まったエンジニアと共に、私たちはチーム全体の共通理解を築くため、意図的に(エリン・メイヤーの『異文化理解力』のような)フレームワークを活用したオンボーディングセッションを始めています。

世界はますます分断され、規制されていく

地政学的な緊張、データ主権、関税、そして様々な国の規制が、私たちのビジネスのやり方をますます形成しています。プライバシー規制が広まったのは、グローバルに相互接続されたインターネットの性質のおかげとも言えます。各国は時として国益のためにトラフィックを迂回させたり、ファイアウォールを設置したりします。物理的なモノの流れは常に分断され、規制された産業でしたが、今や私たちはグローバルなインターネットにおいても同様の状況を目の当たりにしています。

組織が拡大するにつれ、優秀な人材の濃度は薄まっていく

組織が成長するにつれて、人材の分布は自然に広がります。永続的な価値を創造するには、大規模な労働力が必要です。わずか千人の従業員で数兆ドル規模の企業を作ることはできません。若手社員の採用は、長期的な成長のために不可欠です。しかし、だからこそ、社員のキャリア育成やスキルアップが欠かせません。ただ採用だけに頼ることはできないのです。組織全体で高いレベルを維持するには、継続的に人材を育成し、全体の能力を押し上げていく必要があります。

私たちが為すべきこと

顧客は、最も価値ある知的財産やビジネス上重要なデータを私たちに託しています。だからこそExcellenceは我々にとって「望ましい選択肢」ではなく、「果たすべき絶対的な責務」です。私たちは国境や言語を越えて活動しています。グローバルな組織である以上、体系的な実行力と統一された基準が必要です。このような複雑性の中で、Excellenceは自然に生まれるものではありません。積極的に育まなければならないものなのです。

マネジメント実践

概観

私たちは、それぞれが持つ世界観に基づいて行動しています。そして、マネジメントとは、その世界観(環境)の中で、物事をより良くしていくための手法です。ドラッカーは「マネジメントとは物事を正しく行うことであり、リーダーシップとは正しいことを行うことである」という有名な言葉を残しました。

「物事を正しく行う」とは、効果的なソフトウェア開発ライフサイクルを確立し、開発の速度と品質を高め、開発状況をモニタリングし、標準を策定・適用することを意味します。それはガバナンスとコンプライアンスにも関わります。私たちは顧客データを扱っており、顧客の期待に応えるためにデータセキュリティ基準を遵守することは、マネージャーの責務です。 「正しいことを行う」とは、私たちが本当に最も重要な課題に向き合えているかを常に確認し、その過程で成長を妨げる固定観念に疑問を投げかけることを意味します。それはチームのビジョンを描き、言語化し、すべてのメンバーが同じ目標に向かって進められるようにすることでもあります。

「エンジニアリングマネジメント」には、これら両方の視点を同時に行き来しながら実践することが求められます。マネージャーによって考え方は様々かもしれませんが、これらはマネジメントやリーダーシップという抽象的な概念を具体的なビジネス成果へと繋げるために、マネージャーが注力すべき重要な領域なのです。

領域カテゴリ

テクノロジーマネジメント

マネージャーであろうとIC(Individual Contributor)であろうと、コードを書く時間が減るにつれて、技術的な判断はより重要になります。システムを設計し、プロダクトの方向性に長期的な影響を及ぼす可能性のある技術判断を下す必要があります。財務マネージャーが金融資産と負債の貸借対照表に責任を持つのと同様に、EMは技術的資産と技術的負債の両方を管理する責任があります。これは、設計をレビューし、規律あるソフトウェア開発ライフサイクルを運用し、品質基準を遵守することを意味します。戦略的な視点では、アーキテクチャや技術の方向性について長期的な判断を下すことが求められます。実行面では、メンバーの日々の業務を技術面から保証する責任があります。

デリバリーマネジメント

デリバリーとは、単にフレームワークに従うことではなく、チームやプロダクトに合った進め方や仕組みを確立することです。それは不確実性を減らし、チーム間の依存関係を解消し、リスクを減らすことで、持続可能な形でスループットを最大化します。品質はスピードと引き換えにするものではありません。なぜなら、この二つは切り離せないものだからです。 私たちが「睡眠か食事か」を問わないのと同じように(どちらも健康に不可欠だからです)、品質とスピードはどちらもデリバリーに不可欠です。もし両者の優先度を議論しているのであれば、それは要求定義が不十分であるということであることを意味します。また、マネージャーはISO25010のようなフレームワークや自身の経験を活かして、チームに「何を届けるのか」「どのように測定するのか」という共通認識を形成すべきです。

プロダクトマネジメント

プロダクトマネジメントは専門職の肩書きでもありますが、すべてのEMが理解すべき領域でもあります。なぜなら、この役割こそが「Successとは何か」を定義するからです。プロダクトマネジメントは、ビジョンを戦略に結びつけ、ビジネス目標を技術的な施策へと落とし込んでいきます。 マネージャーは、顧客が自社プロダクトを選択する理由を的確に理解した上で、チーム全体が進むべき方向性を見失わないよう示す役割を担います。さらに、エンジニア一人ひとりがプロダクトに最大のインパクトをもたらす意思決定を行えるよう支援することが求められます。 現場レベルでは、単に開発したものをリリースするだけでなく、それが本当にビジネス成果に貢献していることを常に意識することが求められます。

ピープルマネジメント

ピープルマネジメントは、単に1on1ミーティングを行うことではありません。それは、最高の仕事ができる環境を創り出し、個人の成長を最大化することです。 コーチング、ティーチング、メンタリングは重要ですが、もっと本質的な役割は、個人の動機を組織の方向性と整合させ、時間をかけて能力を育成していくことです。 スポーツにおいて、コーチは選手より優れたプレーをするわけではありませんが、チーム全体を成功に導く方法を知っています。 人材育成も同じです。マネージャーに求められるのは「コードをより早く、より上手く書くこと」ではなく、より高次元で物事を捉え、チーム全体を成功に導くことです。だからこそ、高い技術力を持つシニアICが、優れたマネージャーになるケースが少なくありません。彼らは「自分で手を動かすこと」から「他のメンバーが成果を出せるように支援すること」へと自身の視点を切り替えられるからです。

情報マネジメント

情報マネジメントは、単に進捗報告を送ることではありません。言語や文化が入り混じる多様な組織において、スムーズな情報伝達を実現するには意図的な設計が必要です。マネージャーは、チームが不要な情報に惑わされることなく、必要とされる情報とそのコンテキストを受け取れるようにしなければなりません。また、重要な知見やアラートをメンバー層に適切に伝え、彼らが正しく判断し行動できるようにすることも重要です。 これは一貫したコミュニケーションとドキュメンテーションのシステムを構築することを意味します。日々の業務においては、適切なタイミングで、適切な人に、適切な情報が届くようにすることです。

ステークホルダーマネジメント

企業は内部構造が複雑であるだけでなく、多様な規制や外部からの要求にも対応しなければなりません。そのような組織に対して価値を創造するには、大規模なチーム、時には複数のチームで協力して課題を乗り越える必要があります。EMは、組織が内部的にも外部的にもどのように機能するかを理解し、エンジニアだけでなく、ビジネス部門などすべての関係者と目標や期待値をすり合わせていくことが求められます。この役割は、組織内で誰が影響力を持っているかを把握しながら、長期的な信頼関係を構築し、関係者に適時適切に情報を共有することで不意の事態を防ぎ、約束した成果を確実に実現することを意味します。

オーケストレーション

これらの各マネジメント機能は互いに独立して存在するものではありません。技術は独立して存在するものではなく、相互に作用しながらチームが優れたプロダクトを構築できるように機能しています。プロダクトの方向性は技術的判断に影響を及ぼし、ステークホルダーマネジメントにはデリバリーのスケジュール調整が不可欠です。情報マネジメントが不十分であれば、ピープルマネジメントに課題や誤解を生じさせることもあります。マネジメントとは、各領域を個別に最適化することではなく、それらを一貫性を持って統合し、目の前の課題解決に結び付ける営みです。

どの領域にも、「戦略」(方向性を決めて、将来に投資すること)と、「実行」(その決断を現実にしていくこと)という二つの側面があります。当然ながら、その比重は各マネージャーの役割と組織のニーズによって異なります。現場のマネジャーは設計レビューやソフトウェア品質の担保といった「実行」に重きを置きますが、VPクラスは技術アーキテクチャや組織構造など、長期的な「戦略」により多くの時間を割く傾向があります。

こうした役割による違いはあれど、向き合うべき本質的な領域が変わるわけではありません。プロダクトと組織の成長フェーズに応じて、戦略と実行という両極の間をいかに自在に往復できるか。そこに、マネージャーとしての真の手腕が問われるのです。「このバグをどう解決するか?」から「2年後に達成すべき目標は何か?」といった問いの間を弾力的に行き来する能力こそが、マネージャーの的確な意思決定を可能にするのです。

未来を築く

人類は何千年もの時間をかけて、社会は少しずつ安定を積み重ねてきました。農業は食料供給を安定させ、人々を日々の狩猟から解放し、専門職や交易を生み出しました。現代社会も、社会保障制度を通じて、その安定性を更に拡張しました。こうした安定が人類の進歩を推し進める一方で、同時に隠れたリスクも孕んでいます。私たちに革新や挑戦を可能にするシステムは、その一方で安住や惰性をも生み出す可能性があるのです。何もしなければ、安定は停滞へと変わります。だからこそスタートアップもリーダーも、この安定に甘んじることなく、抗おうとします。それは、飽くなき好奇心と常に高みを目指すという強い意志によって支えられる行為なのです。

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは『サピエンス全史』の中で、16世紀頃に社会が変革を迎えたと述べています。それ以前の社会は未来に希望を持てず、そのためお金の貸し借り(信用)という概念が存在しませんでした。しかし近代に入り未来への展望が期待されるようになると、状況は一変します。 当然のことですが、「未来が明るい」と信じられないなら、誰が新規事業を始めようとする者にお金を貸すでしょうか?信用の欠如は貨幣供給の不足、そして経済成長の停滞へと直結します。科学革命の時代、未知のものを発見できるという考え方が広まるにつれ、この「人類は進歩する」という信念が経済的な進歩を後押ししました。「より良い未来がきっと利益を生み出す」と多くの人が考えるようになり、信用で取引をすることが活発になったのです。この変革こそが、現代の金融システムを生み出し、今日、私たちが享受するイノベーションと進歩のスピードを実現させたのです。

現代の製造業は、地政学的リスク、関税、労働力減少といった逆風の真っ只中で岐路に立っています。製造業は長らく商業の発展を牽引し、世界中の大企業を支えるソフトウェアの基盤を形成してきた、先駆者的な存在です。しかし何十年もの間、製造業は労働集約的であり、効率重視の伝統的な「コスト削減・効率第一」という旧来の考え方に縛られ、リスク回避に注力せざるを得ませんでした。その結果、守りの姿勢が生まれ、進歩と停滞の狭間で揺れ動いてきたのです。

それでも、私たちはより良い未来に賭けるのです。

製造業の企業は何十年もかけて蓄積してきた知識、経験、そして膨大なデータを抱えています。これらは、過去の世代が想像すらできなかった財産です。これらを最新のコンピュータビジョンや機械学習技術と組み合わせることで、ディスク上の「単なるデータ」だったものが、「事業を大きく前進させる力」へと変わります。 私たちは、組織が持つ集合知を活用することで、現場の一人ひとりの従業員がより良く、より速く意思決定できるようになる未来を信じています。

かつて未来を信じた社会が爆発的な経済成長を遂げたように、自社の未来の可能性を信じる製造業の方々が、これまで長年磨き上げてきたプロセスや品質向上への取り組みから飛躍的なリターンを得られるようにしたいのです。

Excellenceの追求とは、現状維持に安住せず、「明日を今日よりも良くできる」という信念を具体的な行動で示し続けることだといえます。 EMやリーダーの役割は、まさにこの実行部分にあります。それは、今日のためだけに最適化するのではなく、明日の基盤を築くようなチーム、システム、文化を創り上げることです。このような世界を実現するためには、「現状維持で十分」という誘惑に断固として抗い、常にこの「Excellence」を追求し続けなければなりません。